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環境と空間

座れないベンチ——排除のデザインを読む

PeripheralAttention 編集部 3分

TL;DR

  • 仕切りのあるベンチや傾いた縁石など、特定の使い方を妨げる設計を「排除のデザイン」と呼ぶ。
  • 「誰かのための設計」と「誰かを締め出す設計」は、同じ要素の表裏になりうる。
  • 排除はしばしば装飾やアートに偽装され、意図が周辺視野に隠される。
  • 何を可能にし、何を不可能にするかを並べて読むと、設計の前提が見える。

駅前のベンチに、等間隔で金属のひじ掛けが付いている。座る区画を分ける親切な仕切りにも見える。だが横になれない長さに区切られていることに気づくと、別の意図が浮かぶ。長時間の滞在、とりわけ路上で眠る行為を、設計があらかじめ妨げている。こうした設計を、研究者は「敵対的建築(hostile architecture)」「防御的デザイン(defensive design)」と呼ぶ。

同じ要素の表と裏

排除のデザインが厄介なのは、肯定的な機能と否定的な機能が同じ部品に同居している点だ。ひじ掛けは「立ち上がりの補助」でもあり「横臥の妨害」でもある。縁石の突起は「スケートボード対策」でもあり「腰掛けの拒否」でもある。一つの形が、誰かを助けながら、別の誰かを締め出す。

ロバート・ローゼンバーガーは『Callous Objects』(2017年)で、こうした物の多義性を論じた。排除の意図は、明文化された禁止ではなく、物の形そのものに埋め込まれる。だから抗議の対象になりにくい。「座るな」という看板は議論を呼ぶが、座れない形のベンチは、ただそこにある。

意図は周辺に隠される

もう一つの特徴は、意図が視界の縁に追いやられる点だ。装飾的な突起、アート作品めいた石、植え込みに偽装した障壁。正面から見れば景観の一部であり、排除の機能は周辺視野に溶け込んでいる。これはダークパターンが画面上でやることと構造が似ている。気づかせないことが、設計の目的の一部になっている。

一方で、すべての防御的デザインを排除と断じるのも乱暴だ。深夜の騒音を抑えるための設計、特定の危険行為を防ぐための形状には、相応の理由がある場合もある。問題は「何を防ぐか」ではなく、「誰が、どの利用を、どんな手続きで締め出すと決めたか」にある。

可能と不可能を並べて読む

もっとも、設計はそもそも何かを可能にし、何かを不可能にする営みだ。完全に中立な物は存在しない。だからこそ、排除のデザインを読むには、それが「何を可能にしているか」と「何を不可能にしているか」を並べる必要がある。座れるが寝られない。通れるが留まれない。この対の形で記述すると、設計が前提としている「望ましい利用者像」が浮かび上がる。

裏を返せば、排除のデザインは、その都市が誰を歓迎し、誰を想定外としているかの無言の表明である。けもの道が利用者の望みを地面に刻むなら、排除のデザインは管理者の望みを部品に刻む。どちらも言葉を使わずに語る。読み手の側が、その沈黙を翻訳できるかどうかが問われている。

参考・出典

  • Rosenberger, R. (2017). Callous Objects: Designs Against the Homeless. University of Minnesota Press.
  • Gehl, J. (2010). Cities for People. Island Press.
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