アフォーダンスとシグニファイア——ノーマンの区別
TL;DR
- 「アフォーダンス」は物が可能にする行為、「シグニファイア」はその行為を示す手がかり。
- ドアを押すか引くか迷うのは、アフォーダンスではなくシグニファイアの問題であることが多い。
- ギブソンが提唱した概念を、ノーマンが設計の語彙として組み替えた。
- 「使える」と「使えると分かる」は別であり、後者の欠落が誤操作を生む。
以下は、ある設計者と聞き手の架空の対話として構成したものである。登場するのは実在の人物ではなく、論点を整理するための役割にすぎない。
聞き手:押すべきか引くべきか分からないドアに、よく出会います。あれは何の失敗なんでしょう。
話し手:多くの場合、ドアは押しても引いても物理的には「開けられる」。つまり開くという行為は可能なんです。問題は、どちらの動作を取るべきかを示す手がかりが足りないこと。ここで二つの言葉を分ける必要があります。アフォーダンスとシグニファイアです。
アフォーダンスとは何か
聞き手:アフォーダンスは、よく聞きますが曖昧な言葉です。
話し手:もともとは知覚心理学者のジェームズ・ギブソンが『生態学的視覚論』(1979年)で使った概念で、環境が動物に提供する行為の可能性を指します。平らな面は「乗ること」を、取っ手は「握ること」を提供する。物と利用者の関係として可能な行為のことです。
聞き手:では、ドアの取っ手は「握れる」というアフォーダンスを持っている。
話し手:そうです。ただ、握れることと、押すか引くかが分かることは別の問題です。そこでドナルド・ノーマンが、設計の語彙として「シグニファイア」を持ち込みました。
シグニファイアが欠けるとき
話し手:ノーマンは『誰のためのデザイン?』(改訂版2013年)で、アフォーダンスは「行為を可能にするもの」、シグニファイアは「その行為を利用者に伝えるもの」と区別しました。平らな金属板は「押す」を伝えるシグニファイアになりうるし、縦長の取っ手は「引く」や「握る」を示唆します。迷うドアは、アフォーダンスはあるのにシグニファイアが矛盾している状態です。
聞き手:取っ手は引けと言っているのに、実際は押す扉、というような。
話し手:まさに。これは利用者の不注意ではなく、合図の設計ミスです。視線の話と同じで、手がかりが整っていれば、人はそれに従って動きます。
「使える」と「使えると分かる」
聞き手:ただ、すべてに説明書きを付ければいい、という話ではないですよね。
話し手:そこは慎重に考えるべきです。「押す」とラベルを貼るのは、シグニファイアが形で伝わっていないことの白旗でもある。一方で、ラベルに頼らず形だけで伝えようとして、かえって分かりにくくなる例もある。もっとも、原則は変わりません。可能であることと、可能だと伝わることは別の仕事だ、ということです。
話し手:裏を返せば、誤操作の多くは利用者ではなく、シグニファイアを整えなかった側の問題に帰せられる。アフォーダンスがいくら豊かでも、それを示す手がかりが沈黙していれば、人は迷う。私たちが「使いにくい」と感じる多くの場面は、能力の不足ではなく、合図の不足です。意図的に手がかりを隠す設計になると、話はさらに込み入ってきます。
参考・出典
- Norman, D. A. (2013). The Design of Everyday Things: Revised and Expanded Edition. Basic Books.(邦訳『誰のためのデザイン?』)
- Gibson, J. J. (1979). The Ecological Approach to Visual Perception. Houghton Mifflin.